整体師になるまで
整体師を目指すまでの流れは以下のページをご覧ください。
バイトしながら整体学校に通う
空いた時間にアルバイトを入れつつ、整体学校の授業には出来る限り出るというスタンスで整体師を目指しました。
”整体学校の授業には出来る限り出る”というのには、理由があって、卒業後に、整体学校のスタッフ、もしくは直営店のスタッフにしてもらいたかったから。
真面目に頑張っているというのをアピールする意図がありました。結果意図通りに、その整体学校が発行する資格取得後、整体学校直営院の責任者として、スタッフになることで、私は、整体師の道を歩み始めることになりました。
学んだ整体学校のスタッフとして勤務
プロ整体師になって気が付いたこと
整体学校のスタッフとして、直営店舗の責任者を任され、整体学校の講師も勤め、更には、新規店舗の出店準備と、私は、整体師となって私の目の前に出現する仕事に前向きに取り組み続けました。
忙しくはありましたが、前職より流れの規模・大きさが小さく、また、より単純でしたので、以前のような、自分の手に負えない仕事に押しつぶされる感はありませんでした。
人勧万事塞翁が馬といいますが、前職が大変過ぎた分、新たな職場では、どんな大変なことも大したことない…と思えていたというのもあったでしょう。
整体の存在意義にも、仕事内容にも満足していました。しかし、前職では感じることが出来なかった問題に気が付くことに…それは…一言で言えば、「お金」。
前職は、正社員雇用でボーナスもあり、残業代も規定に基づいてでていました。
しかし、今回は、正社員雇用のように見えるが、実は業務委託、ゆえに社保はなし。ボーナスもなし。残業代も何も定められた報酬が支払われるだけという環境でした。
また、前職は大がかり(世界規模)なBtoBのビジネスモデルでしたが、整体は、BtoCのビジネスモデルで、規模(整体院は近隣住民がメインターゲット、整体学校は東京もしくは東京近郊の人がメインターゲット)と大きくありません。
ゆえに、売り上げの規模が小さく、また、その波も大きく、工夫でそれらをコントロールするのも難しいという側面がありました。
更に言えば、売り上げの規模を見ると、どうしても、整体院の施術料金の売り上げよりも、整体学校の学費の売り上げの方がインパクトが大きく、そっちに頼りがちになってしまうという、納得しがたい現実がありました。
その困難に立ち向かい、会社を大きくしていくのが、私に課せられた使命とも言えたでしょう。
しかし、私には同時に、別の使命も感じていました。それは…
”ある程度のところで生まれ故郷に帰る。そのために、故郷でゼロから1人で経済活動を行うための知識・スキルを身に着ける。”
ということ。それに前者と後者を天秤にかけるなら、私は、後者を取る…というスタンスでした。
ちなみに…この雇われ整体師時代の報酬は…月20万円から始まり、2年くらいいたと思いますが、最終的には月28万円くらいの報酬だったと記憶しています。
新たな可能性に出会う
整体師になるという前職退職時の目標は達成できた。しかし…いつか故郷に帰る…そのためのスキルとしては、整体だけでは心もとない…。故郷となれば、東京以上に人は少ないわけだし…どうすればいいのだろうか?
日々の整体師としての仕事をこなしながら、そのようなことを考え続けていました。
そんな折、店舗間移動の際に、ふら~っと立ち寄った本屋で、「ウェブサイト、インターネット広告、SEO、アフィリエイト」に関する本と出会いました。
以前の「整体師!!!!!」と頭に言葉が降ってきたほどの衝撃ではありませんでしたが、”このスキルを身に着けたら、故郷に帰ってもやっていける!家族を養っていける!”と強く思いました。
独立の道を歩み始める…
都内某所で整体院開業!
新たな可能性に出会ってから3か月ほど経過…。私は、整体学校を辞め、都内某所で整体院を開業しました。
家賃は月5万円ほど。5坪くらいの部屋だったと記憶してます。駅からは徒歩7~8分くらいだったかな?開業と言っても、1人ぼっちでの開業。
これには理由がありました。整体学校所属のままだと、様々な事務業務もそれなりに多く、他のことをやる時間を捻出することが難しかったのです。
開業すれば、自分の好きなように時間を配分することが出来ます。それまでに、整体院立ち上げの経験もさせてもらっていましたので、開業する事はどうってことはありませんでした。
今、将来から逆算した時、今自分が真剣に取り組まなければならないのは、「整体」と同様に「ウェブサイト、インターネット広告、SEO、アフィリエイト」である…。
いやむしろ、本音を言えば、後者を最も優先させるべき…だと考えていました。
整体師として、活動しながら、空いた時間に、「ウェブサイト、インターネット広告、SEO、アフィリエイト」の勉強・研究をし、ウェブサイトもどんどん作成していく…。そんな日々を1年ほど送りました。
開業して…売り上げとしては、とりあえずは、整体学校時代に貰っていた報酬と同じくらいの金額を稼ぐことは出来ていました。多少の波はありましたけどね。
※ちなみに、開業以来、整体師としてどこにも所属せず自らのみで活動していた時期は、JHA 一般社団法人 日本治療協会の保険を利用させていただいていました。
ちょっと早いけど故郷へ戻る。
開業して1年ほど経った頃、妻が第2子を妊娠しました。それをきっかけに、故郷の親の”地元に帰ってこい!”という圧力が強くなりました。
地元に変えれば、育児等々で親をあてにすることが出来るシチュエーションも増えるし、孫の顔を頻繁に見せてあげることが出来るから親孝行にもなる…。
何より、東京出身の妻も、地元帰りに賛成してくれたので、我が家族は、故郷に生活の場を移すことにしました。
その際…重要になってくるのは、仕事…ですよね。
- 「整体」だけで田舎でやっていけるかどうかは…自信があるとは言い難い。
- 「ウェブサイト、インターネット広告、SEO、アフィリエイト」は、必死に取り組んでいるが現状、花開いたとはとても言えない…。
どうしよう…。
そんな折、古物商を営む友人が、「帰ってくるなら、俺の仕事手伝う?」と声をかけてくれたので乗っかることに…。その仕事の内容は別項で紹介させていただきますが、地元に帰ってからの約半年間は友達の仕事が忙しく整体業は完全休業に…
友達の元を離れることに…
喧嘩別れ…!?っていうわけではなかったかと記憶してますが、半年ほどで友人の元を離れることに…。
- 地元で整体院を開業
- 友人の元で得た知識で古物商の許可を取り、開業
- ウェブサイト、インターネット広告、SEO、アフィリエイト
この3本立てでやっていくことに…。
整体院開業後、しばらくして、ホテルでエステサロンを営むエステティシャンの方に、「エステサロンの一角で整体をやらないか?」と誘われたので、その話にも乗っからせていただいた。ゆえに、まぁ、4本立て…ですね。
ウェブサイト、インターネット広告、SEO、アフィリエイトが軌道に乗る→会社設立、整体を辞める
整体院開業後1年ほど経った頃だっただろうか…?2011年5月に、私は会社を設立した。ウェブサイト運営・制作・保守、インターネット広告を主軸にした会社である。
「ウェブサイト運営・制作・保守、インターネット広告」の良さに
- どこででも仕事が出来る
- 利益の可能性が無限にある
ということを挙げることが出来る。逆に言えば、整体は、売り上げがスタッフの数・時間に制限されてしまう。
この特性を理解していると、「ウェブサイト運営・制作・保守、インターネット広告」が軌道に乗り出した段階で、「整体」も同時進行で継続していこう!とは考えにくい。
私は、この地点で、整体を辞めることを決意した。
致し方なく再び整体の腕に頼ることに…
会社を設立して9年が経過。様々な良い時期・悪い時期を経験したが、何とかかんとか会社を維持してきた。
しかし、9年目の終わり頃…もう、「ウェブサイト運営・制作・保守、インターネット広告」ではやっていけない…。と考えるようになる。
私は、再び、整体の力に頼ることにする。某ホテルに入っているリラクゼーションサロンで業務委託で働くことにしたのだ。
この決断はいわば、挫折…。しかし、生きるために出来ることをしなければならない…。整体の腕にはここで随分と助けてもらった。
会社員の道に戻る…
会社を解散。会社員に…整体を再び封印することに…
リラクゼーションサロンで働くなどしつつ、会社の復活にかけていたが、それはかなわず、最終的に、決断しなければならない限界ラインを超えた。
私は、会社を解散し、会社員になることを決意。
会社員をしながら、自らがどうなりたいのかを整理・そこから逆算してどうすべきなのかを日々考え、奮闘する日々を送っている。
今後整体は…
もし、会社設立時…整体を辞めていなかったら…たまに考えてしまうことがある…。
私は、整体を裏切り、見捨てた男だ。何も言えない。ただ、一度、見切りをつけた会社員だが、再びなってみると…中々どうして悪くない。
かつて
”転職したって、会社員が抱える責任は大なり小なり変わらないのでは?嫌な上司だって、どこに行ったってそれなりにはいるものでしょ?であるなら、転職したって、根本的には解決になっていないのでは?”
このように考え、会社員としての生き方に見切りをつけたわけだが…会社員でない生き方をすることで会社員の良さも見えてきた。
- 上司に怒られても…それでもお金は貰える。
- 出勤して仕事さえしてれば絶対にお金をもらえる。
- ボーナスがある。
- 社保、年金分が抜かれた後で手取りがもらえるからそのこと自体に納得がいく。
会社員、めっちゃいいやん!美味しいやん!って本気で思える時が多々ある。
これを成長といってよいのだろうか…よくわからない。
また、今の仕事は、以前のように”自分の手に負えない仕事に押しつぶされてしまう”ことのない仕事だ。そういう仕事を自分で選んだのだ。
だから快適だし、いまだに、野望を捨てることなく、ゆとりのある心で世の中を見ることが出来ている…。
本記事では割愛するが、現在は、
- データを取ることで自らの不確かな投資・トレードの確率把握を向上させる。運用利回りの値を計算できるものにする。
- 安定収入の中で生活しつつ、その一部を安定して投資に回す。
- 私がこれだと信じて邁進している事自体を情報発信する。
この3項目こそが私の自己実現の王道だと信じ、研鑽の日々を過ごしている。
整体は、今は、家族に施す程度だ。整体の腕があれば…とりあえず、自分1人くらいはどこででも生きていける。ただ、家族まで養うとなると工夫が必要だ。
日本において、システム的、世代的に、他者を養い続けなければならない人生と言うのは考えなくても良いのではないだろうか?
いざと言う時に私には整体がある。
そう思えることは凄く幸せなことだと言える。
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