とあるアフィリエイトの本との衝撃的な出会い
私は、会社員を辞めて整体師になった。3店舗の院長を兼任しつつ、母体である整体学校では、講師として指導も行う。
整体師になると決めた時抱いていたイメージ通りの道を歩めていると言えた。
しかし、自らの目標、性格と、整体業ということを客観的に考察すると、整体業では、整体業だけでは、自分の理想とする未来を実現するのは難しいということがわかってきた。
- 故郷(田舎)で開業してお客さんが東京のように来るのか?
- 東京だと、合う人合わない人を商売だからと割り切るスタンスをとることが出来るが、故郷(田舎)でそれが出来るのか?知り合いから悪評が立ってしまうのは嫌では?
- 人気の利益率の高い整体院を判で押したように生み出すことは難しい。そんな現状でドヤ顔で整体学校・スクールを運営するのは自分には出来ないよな…
- 1人院長で開業して整体するのが自分の性格には合っているが、それだと、安定感や金銭面で厳しいのではないか?
私の性格から考えだされたことであり、整体業界がダメと言っているわけではありません。
当時、東京での整体院経営に関わっており、東京でも、売り上げに関してそれ相応の苦労をしているのに故郷(田舎)でそれをやる…しかも、自分1人で…とてもじゃないけど難しいぞ…そんな風に思ってしまっていたのです。
”このままの状態では、故郷(田舎)に移り住むというのは難しいな…。どうすれば…”
私の前には新たな壁が立ちはだかっていました。
そんなとある日、御徒町にあった整体院を出て、整体学校へ電車で帰ろうとしていた時のこと…昼過ぎ、暑い夏の日でした。
暑さに負けて、なんとなく、駅までの道沿いにあった本屋に立ち寄りました。
そこでふらふらと本を物色…私の目に一冊の本が飛び込んできました。
”アフィリエイトで月〇〇円稼ぐ…”
みたいな本です。今は、そんな本や言い回しは掃いて捨てるほどありますが、当時はまだ、そこまでそういう言い回しを目にする機会はなく、私は…
”なんだと!?”
みたいな具合にその本を手にしました。そこには、アフィリエイトに関する概要のようなモノが書かれていました。
それを読んだ自分が思ったこと…それは…
”これは俺にも出来る!すぐに始められる!リスクもない!夢しかない!…やるしかないっ!”
私は、この本を購入し、その数か月後に、人生を賭けて、アフィリエイトに全力を傾けるための環境を作るために、「3店舗の院長・整体学校の講師」を辞め、自らの手で都内某所に整体院を開業しました。
2006年当時のアフィリエイトは…?
当時…2006年くらいったと思いますが…前述した本に書かれている内容・ノウハウを簡単に記します。これを見ると、「当時のアフィリエイトがどんな感じだったか?」が推測できるかと思います。
当時を知る人からすれば、「懐かしいなぁ…」、「いい時代だったなぁ…」などと思うことでしょう。
- 何等かのテーマ(自分の得意なことなど)でサイトを作り、渾身の記事を入れていく。
- 外部からの紹介(≒リンク)をもらう。
- 1.2.の積み重ねで検索エンジンから自らのサイトに流入を得ることが出来るようになる。
- サイトで紹介している案件が売れる・申し込まれるようになる。
本当に簡単に書けば、これだけ。
当時でも、稼げるようになる人とそうではない人がいましたが、その違いは…
- 商品がないジャンルで一生懸命記事を書く。
やるのはアフィリエイト。売れる案件につながるテーマを頑張らなければその頑張りが報われるのは非常に難しい。例えば…事柄Aについて、最高の情熱を傾けて記事を書き、それを積み重ねたとしても…事柄Aに興味のある人たちに対して勧める案件がないなら、売り上げることはできません。
※グーグルアドセンスを用いたり、圧倒的な数で勝負するなど、絶対にマネタイズできないというわけではありません。
- ニーズがないジャンルで一生懸命記事を書く。
誰も興味を抱かない事柄Bについて、最高の情熱を傾けて記事を書き、それを積み重ねたとしても…事柄Bに誰も興味を抱いていないのであれば、誰も事柄Bに関する検索を行いませんから、作ったサイトには誰も訪問してくれません。記事を読んではくれません。だから稼げません。無人島で最高にうまいラーメンを作って、一所懸命に呼び込みをかけても誰も来てくれないのと同じです。
逆に言えば…売れる案件につながるテーマでサイトを作り、最高の情熱を傾けて記事を書き、外部からの紹介(≒リンク)をもらうための活動もすれば…誰でも稼ぐことができる時代だったとも言えます。
更に言えば、当時は、記事がしょぼくてもリンクさえあればなんとでもなる時代でもありました。外部からの紹介(≒リンク)をもらうための方法は、普通(王道的)なものからしょぼいものまでたくさんあり、お金になるからと皆、リンク獲得に必死になってました。
現在も、紹介(リンク)の獲得は、サイト訪問者数アップのための有効な手段であることには変わりありませんが、普通(王道的)なものが主流となっています。
また、現在はサイトの権威性などの要素を検索エンジンが取り入れるなど、検索エンジンの順位づけには、個人が小賢しいテクニックで対抗してもどうしようもない状況となっています。
更に言えば、SNSの登場・スマホの普及などで、ネットユーザーは、とりあえず検索エンジン…という動向をしなくなってもいて、ネット上でのシェアについても年々変化があります。
初めての整体院開業!アフィリエイトに没頭する
前項でちょっと横道にそれてしまった感はありますが…東京都内某所に1人で整体院を開業しました。
予約がある時は、整体をし、空いた時間にはひたすら、アフィリエイトについての勉強・作業をする…そんな毎日でした。
しばらくは、1人でひたすら頑張っていましたが、”このままでは駄目なのではないのか?”という気持ちが芽生えてきました。
1人ではどうしようもなく、出会った本の人が主催する塾に入る
なぜ、1人ではどうしようもないと思ったのか…それにはいくつか理由がありますが、一番は、”自分が無料ブログや無料スペースでしかウェブサイト運営をすることが出来ない”ということでした。
現在とは状況が大きく異なりますが、当時は、独自ドメインを取得し、それを着実に育てていけば、一生ものの資産になる…というような言われ方をされていたということもありました。
そして、今程、独自ドメインを取得し、自分でウェブサイトを運営することが、広く一般に浸透していないという時代背景もありました。
そんな中、私が運命的な出会いだと思った本の著者が主催するスクールは当初から気になっていました。
30万円くらいの金額が必要だったので、”そんなもの要るか!!”と強がっていたのですが、そのスクールでは、誰でもキレイなホームページを独自ドメインで作ることが出来るマニュアルとテンプレートがあるということで、気持ちがかなり揺さぶられました。
”時とタイミング、チャンスを掴むというのは大事だ…”という気持ちになり、思い切って申し込むことに…。
塾のセミナー・集まりなどで意識を高める。
その塾はどうだったのか…?人によってその感想は異なると思いますが、当時の運営者は真面目に運営されていたと思います。
まだ、大きな検索エンジンのアップデート・ピンポイントで目を付けられる手動ペナルティがない時代…サイトを真面目に育てれば…それは、自分を救ってくれる資産となる…。
そんな資産を作ることが出来る人を増やしたい…そんな気持ちから塾を運営されていることは伝わってきましたし、当時の外的要因からも、その考えは理解できるものでした。
だから、当時の私は、人生を賭けてアフィリエイトに身を捧げようと思ったわけですし…。
今のアフィリエイトを取り巻く現状であれば…副業として始めてみるのはありだけど、本業を辞めるのは駄目だな…と思うでしょうね。
塾自体は、良い塾だったと思います。そして、その塾が主催するセミナー・集まりに参加することで、同じ目標を持つ仲間と知り合えたのも大きかったと思います。
自分の周囲では、こんな突拍子もないこと…理解されないけど、同じように、可能性を感じて頑張っている人がいる。
実際に、アフィリエイトで生活している人がいる。
そう思えることで、”無理なんじゃないか?”という気持ちが”実際に出来ている人がいるのだから、俺に出来ないわけがない!”となります。
そういった心の変化をもたらしてくたことは非常に大きかったです。
ちょっと寄り道!?
”真面目に半年取り組んで結果が出なかった人を私は見たことがない…”
運命的な出会いだと思った本にはそのように書かれていました。今思えば、非常に上手な言い回しだなと思いますが。
私は、塾に入ってから半年たっても、結果を出すことが出来ませんでした。
そして、結果を出すことが出来ない状態のまま、家庭の事情!?のようなこともあり、生まれ故郷に生活の拠点を移すことになってしまいました。
別項で書こうと思いますが、引っ越しして、しばらくは、リサイクル業を営む友人の手伝いを業務委託という形で行っていました。
- アフィリエイトに大きな可能性をまだまだ感じていたので、普通に就職する気にはなれなかった。
- 普通に就職すれば、性格的にアフィリエイトには取り組めなくなる可能性が高い。
- 整体院を開業するにも、田舎なので、うまくいくかどうかわからない。
- 友人の仕入れて売る…というビジネスも学んでおいて損はない。
などの理由から、半年ほどやっていました。アフィリエイトも、進捗はゆっくりになってしまいましたが、コツコツ取り組んでいました。
その後、友人から離れ、
自ら古物商開業、整体院開業をしつつ、こつこつアフィリエイトに取り組むというスタンスとなりました。
古物商事業、整体院事業ともに、何とか生活できるか出来ないか?くらいの厳しいモノでした。そんな中でも、アフィリエイトに大きな希望があるから、何とか前向きに頑張ることが出来てました。
なけなしのお金で東京まで行きセミナーに参加!開眼!?
下品な表現かもしれませんが、私が、アフィリエイトで月10万円稼げるようになるのに、3年半かかり、その後1年で月100万円稼げるようになりました。
数字を見れば、一気に開眼したといっていいかもしれません。
このきっかけは、”なけなしのお金で東京まで行きあるセミナーに参加”したことが大きな要因であると記憶しています。
そのセミナーは、私が入っていた塾の生徒から講師になったHさんという人が開催することになったセミナー。そのセミナーに参加し、
- 真面目に一生懸命記事を書いていても、アフィリエイト案件との結びつき、距離感が間違ったものであれば結果は出ないと理解できた。
- 一見、”マジかよ…”というようなサイト、方法でも驚くほど稼いでいるサイトがある。そして、そのサイトを実際にみた。
ことが開眼の要因だったと思います。
セミナーに参加後、私は、それまで大事に育てていたサイトを諦め、新たなサイトを立ち上げました。そして、上述2項目を踏まえた、サイト作成に励みました。
そして、開眼した…というわけです。
ただし、この考え方はともかく方法に関しては、その時の検索エンジンの傾向に合わせた小手先のテクニックも多く含まれていましたので、今、この時と同じことをしても結果は全然でないはずです。
右肩上がり、法人化
アフィリエイトでの売り上げが月100万円を突破し、その後も、売り上げは伸びていく一方…そんな感覚がありました。
そんな中、よくわからないというか、気になってくるのが、税金のこと…。とある税理士さんに相談すると、”これは法人化するのが良い”と言われ、法人化することに…。
それまで、人生のすべてを賭けて取り組んでいるのに、友達に言うことが出来なかったアフィリエイト…やっと結果が出たアフィリエイト…。
規模はともかく、法律上!?肩書は、代表取締役社長となった喜び…。
売り上げは、やればやるだけ上がっていく…もはや、人生を攻略。俺は成功者への切符を得た…!
そんな心境で調子に乗りまくってました…。
当時の自分にアドバイスするなら…
- 今の絶好調は様々な偶然が重なってあるものだ。
- 調子に乗って大きな買い物をするべきじゃない。
- お金の活かし方・資産運用などの勉強を始めるべき。
ということですね…。
ただ、絶好調な当時にも、悩みがありまして…それは、
”寿命が終わってしまうことが怖い”ということでした。
人間どんな状況になっても、悩みを探し出してしまう生き物なのだなと実感しました…。
初めての大規模アップデート
そんな一度目の絶頂期が続いたのは…半年ほどだったでしょうか?
↑
ホントの絶頂期はこれから来ると思ってます(笑)
初めての検索エンジンの大規模なアップデート…調べてみると、当然ですが、私が初めてだと思ったアップデートが初めてではないようです。
ですので、ここでいう初めての大規模アップデートというのは、”私にとって初めての大規模アップデート”ということです。
このアップデートのタイミングで私の主力サイトは全て手動ペナルティを食らってしまいました。
2012年4月のペンギンアップデート…このアップデートで私の主力サイトの全てが全く売りあがらなくなりました。
記憶が定かではないですが、当時月400万円くらいの売り上げがあったと思いますが、それが、一気に、月15万円くらいまで落ち込んでしまう…。
そんな衝撃でした。
そんなこと…まさに、寝耳に水、青天の霹靂。
- 車も買っちゃったよ?
- 35年ローンで家も買っちゃったよ?
- 税金は払えるの?
- 保育園料金だけで、売り上げ全部飛んでしまうのでは?
- 子供三人いますけど?
- 妻には今、専業主婦してもらってますけど?
など、大変な状況に右往左往しました。
この初めてのアップデートは、私自身、まだ、精神的にも肉体的にも元気でしたので、何とかかんとか攻略し、半年後には売り上げ月300万円ほどにまで回復させることが出来たと記憶しています。
ただ、この出来事で、アフィリエイトサイトは資産でも不労所得でもなく、アフィリエイトの世界は不安定で大変な世界であることを思い知ることになりました。
今にして思えば、この出来事で、自分の牙は折られてしまったのかもしれません。
”35年ローンで家”っていうのも大きく影響しているでしょうね…。
この出来事からの1人社長生活≒7~8年は、基本的にビクビクとした辛く苦しい日々として記憶されています。
今思えば…と言いたいところですが…当時は当時で常に最善を尽くしてきたのだから…どうしようもなかったかな…
手を変え品を変え何とかする日々
前項で”半年後には売り上げ月300万円ほどにまで回復”と書きましたが、その後、何度も、検索エンジンのアップデートなどにより、私は窮地に見舞われました。
月数百万円の売り上げが、月15万円ほどに落ち、半年後に最低でも月100万円にまで戻せなければ会社は終わる…。
そんな窮地は10回くらいはあったと記憶しています。
もはや夢・野望を抱く男ではなく、後ろが落とし穴になっているルームランナーで怯えながら必死で走っている男と言った具合でした。
流石に、SEO頼みのアフィリエイトだけではマズイと、色々なことにチャレンジをしました。
- PPCアフィリエイト
- ホームページ制作・運営・保守
- 中国輸入
- 古物商
- 婚活パーティー
等々
挙げればきりがありません。
しかし、どれもこれもがうまくいきません。うまくいかず困っている中、いつも何とかかんとかSEOアフィリエイトで手を変え品を変え復活することでしのぎ続けてきました。
そんな日々を重ねるうちに、徐々に、私の若さと勢いと情熱は削り取られていきました。
耐え凌ぐ日々に疲れた?
法人9期目が終わろうとする頃…私は検索エンジンのアップデート(2019年3月のコアアルゴリズムアップデートだと記憶している)に見舞われました。
もはや何度も経験し、乗り越えているから慣れっこさ…と言いたいところですが、今回はもう無理かも…という気持ちが若干ありました。
何事も、変化は一気に起きない。らせん状に変わっていくものだ…と言われます。
検索エンジンにしてもそれはそうで、この10年近くで、私(私がかつて開眼したやり方をベースにした戦法)が手も足も出なくなる時期、終わりはもうそろそろなのかもしれないと思いました。
だからといって、それをあっさり受け入れるわけにはいかない。私は、いつものように対策を立て、復活のために動き出しました。
ただ、動きつつも、色々と今の自分に疑問を感じていたのも事実…
アフィリエイトが跳ねて、一人社長とはいえ、社長になったのが33歳くらいだったかなぁ…。
33歳で社長…若いのに立派ですね的な感じだったけど、今は42歳で社長…結構普通…。しかも、実際のところは、独りぼっちで今にも潰れそうな大ピンチの社長。
SEOアフィリエイトだけじゃだめだと色々チャレンジしてきたつもりだったけど、どれもこれもうまくいかないなぁ…。
俺は、このまま、地べたを這うように一生検索エンジンの結果に振り回され続けるのだろうか?
俺は、どうしたいのだろう…?社長になりたかったのか?金持ちになりたかったのか?
自己顕示欲を満たしたかったのか?自由を得たかったのか?お金を得たかったのか?
何を求めているのだろうか?
なんとならなかった…生活を優先。会社を解散。
今回はもう無理かも…という不安は、現実に…。
資金が底をついた。優先させるべきは…家族と今の生活だった。
今の家に住み続け、子どもたちの日常を守りたい。
それだけが最後の希望だった。私は、アフィリエイトで興し9年続けた会社を解散することにした。
今は…アフィリエイトとは全く関係のない、正社員雇用という形で身体を使う系の仕事をしている。
妻も働きに出てくれていて、中古車に乗り換え車のグレードを落とした。夫婦共働きで今の家に住み続けることは出来ている。
解散後に振り返る自分の敗因
そもそも意識が低かった。自分の意識の低さ。
私がアフィリエイトを志した2005年頃は、インターネットの世界とリアルな世界との間には、大きな乖離があったように思う。
そして、アフィリエイトに興味を持つ人間にも違いがあったように思う。2005年当初は、
”私のように、小規模で、自分の生活を何とかしたいから…”
というニュアンスの人が数多く、そんな人でも、うまくやれば一発当てることが出来る可能性が今よりもはるかに高かった。
今は…当時の私のようなニュアンスの人も多くいるのでしょうが、そういう人が、運よくうまくいけてしまう可能性は、私が開眼した頃に比べると非常に低いと言える。
ツイッターなどで、頭角を現してきている人や、自分よりもはるかに後から始めた人で今でも好調な人を見ると…かつての自分よりはるかにクレバーで意識も高いなと認めざるを得ないケースがほとんどだ。
サイクル…
私がアフィリエイトで開眼した頃…アフィリエイトはもう稼げなくなったと、撤退していった先輩もそれなりにいた。
要は…サイクルという側面もあるのだろう。
”アフィリエイトを始め、結果が出る→何等かの外的要因でピンチになる→ピンチを回避する→再びピンチになる…”
これをインフラを整えることなく、ただ繰り返していると、年齢だけを重ね、精神も勢いも知識も全てがただ劣化していき、徐々についていくことが出来なくなる。
私が、会社を解散させた後も、頑張ることが出来ているアフィリエイターには、自分より後に参入していて、まだまだ、前述の要素の劣化がそれほどでもない人が含まれているはずだ。ただし、何等かの策をうっていかないと最終的には私のようになってしまうのではないだろうか…
情報交換を疎かにした?貧すれば鈍する?
私は、根性論寄りで、情報交換を軽視する傾向にあった。
セミナー・情報交換の場などは、都会である場合が多いが、資金的に苦しい時は、閉じこもって仕事していることが多かった。
この件に関しては、何が正解なのかはケースバイケースだし、難しいところだが、今振り返ってみても、もう少し、情報交換の頻度は高くても良かったのかもしれない。
更に言うなら、それを目的に、拠点を移すべきだったのかもしれない。
建てた家、両親…それらを優先し、アフィリエイトに対して最善を尽くさなかったのは他でもない自分自身なのだ。
ビジョンがなかった。
アフィリエイトを足掛かりにして…
こんなサイトを作って世の中にインパクトを与えたい…
最終的にはこんな風にして世の中に貢献したい…
みたいな大義名分といいますか、壮大なビジョンといいますか…そういうのが自分にはありませんでした。
人を口説くにはロマンと算盤などと言いますが、私の場合は、そのどちらもありませんでした。
そんな会社に誰が魅力を感じるか…?まぁ、皆無でしょう。
自分自身、それでもいいと思っていましたが、時の流れと自らの加齢…そのあたりを計算に入れていなかったのは大きな敗因と言えるでしょう。
色々な人がいる、多様性を認めている会社・コミュニティの方が、長く繁栄するとも聞いたことがあります。
1人社長では多様性ゼロなわけです。
壮大なロマンで人を巻き込んでいたとしたら…
- ピンチの際に、私の想像もつかないウルトラCをぶちかますスタッフが現れることもあるでしょう。
- 時の流れと自らの加齢にも対応できるだけの力を会社に備えることが出来ていたかもしれません。
とはいうものの、私自身、器が小さいと言いますか、他人を巻き込むのが嫌いな性分です。
壮大なロマンを抱いて、複数の人を巻き込めば、結果は違っていた…と全てを知る神様に教えてもらったとしても、それを実行するのは難しいでしょうね…。
この結果は、この方向性で生きていくことが自分自身には向いていないということを知る機会でもあったということなのでしょう。
専業になってしまった
アフィリエイトを続けることが出来る、続けることが出来ないには、その人が置かれている環境というのが影響します。
私の場合、SEOアフィリエイトでの収益をあてにして、法人化…結局、売り上げの9割以上がSEOアフィリエイトであるという状況を変えることが出来ませんでした。
SEOというのは、非常に不確かで不安定な世界。安定させるというのが非常に難しい世界。見通しを立てにくい世界。
そんな世界で成果報酬だけを専門にして、「予算を立てて、給料をもらい、税金を納める…」
これは非常に難しいこと。検索エンジンのアップデートに四苦八苦していたのは、先述の通りです。
これが、専業でないならば…生活の基盤となっている収益源が別にあるとすれば、付き合い方は変わってきます。
売り上げが跳ねたら素直に喜べばいいし、売り上げが想定外に落ち込んでも、今の生活が脅かされることはありません。なので、自分のペースでバタバタせずにアフィリエイトに取り組むことが出来ます。
アフィリエイトを通じて、得た力・スキル
口説きのスキル
アフィリエイトには、自らのウェブ媒体を介して人にものを購入してもらったり、申し込んでもらうための口説きのテクニックが必要。
そのテクニックに関しては、日々研鑽してきたと言えます。
会社を解散させて、会社員になってから…そのテクニックを活かして、会社内のとある取り決めを変えることに成功しました。
”現在の取り決めを改善するメリットデメリットをまとめた上で、やはり、改善するしかありませんよね?改善しないなんてどうかしてますよね?”という構成の資料を作成し、社内会議でプレゼンしました。
結果、上司が取引先の担当者と交渉してくれることとなり、無事に取り決めは変更されました。
アフィリエイトで培った技術が活きたなと実感できた出来事でした。
ウェブ制作が出来る
とりあえず、ウェブが作れるようになりました。凝ったデザインとか専門的なスキルとか言い出すと、ウェブクリエイターを生業としている人には遠く及ばないかもしれませんが、今はスマホの時代ですから、凝ったレイアウトなどが活きる環境とは言えないように思えますし、何でも、テンプレやアプリで何とかなっちゃう時代です。更に言えば、クラウドソーシングでクリエイターは探すことが出来る時代でもあります。
”人様に何かを伝えるためのツールとしてのウェブサイト”というレベルの中の下くらいのウェブサイトは作ることが出来ると言って良いでしょうし、それくらいのスキルがあれば、そこそこOkと言えるのかなとも思います。
PPC
管理画面がややこしく、しばらく触っていないと浦島太郎状態になってしまう印象のあるPPCですが、LTVで勝負するのが一般的な利用方法である中、LTVを考慮できないアフィリエイト広告でPPCに果敢に挑んでいた経験は、その辺の人に、”PPC運用してほしいと言われても結構いい感じにやれてしまうレベル”だと思います。←やりませんけど。
PPCアフィリエイトを収益のもう一つの柱にすべく、20万円くらいのオンライン塾・教材みたいなのを購入したこともあります…。
≒ウェブマーケティング?つなげる力
1.検索エンジンでキーワード検索→2.訪問→3.望むアクション
1~3までの流れを組み立てることが出来るようになった。それゆえ、この流れがつながらないケースを素早く判断することができるようになった。
調べる力
サイト運営には不具合がつきもの。検索エンジンに適切なキーワードを入力し、適切なサイトを探し出し、問題を解決する力を養うことが出来た。
先日、現在の勤め先でこんなことがあった。勤め先で事務所移転があったのだが、その際、PCに疎い上司が、設定に困って私に相談してくるということが多々あった。
質問されても、すぐに、答えることが出来ないことも多いのですが…そんな際は、やはり検索。
スマホ片手に検索しながら、不具合を解決する姿を怪物を見るかのような目で私を見ていた視線が気持ちよかった。
文章力
アフィリエイトをする上で、文章は非常にたくさん書いてきた。現在の職場でアフィリエイターではない人に接すると、ちょっとした文章であっても、「無理!絶対書けない!」と拒否反応を示す人が多い。
私の現在の勤め先には、最近、新入りさん!?が多く入ってきているのですが、新入りさんは日々レポートを提出しなければならなくなっているみたいでして…。
「書くことなんかない!」と新入りさんは苦しんでいるのです。
私からすれば、書くことなんかいくらでも探し出してこれるだろう…と思うわけです。
「気になった事柄をメモしておいて、それらから連想ゲームのように話題を拡張させて…それらをネタとして複数ストックしておいて…」
と言った具合にアドバイスすることが出来ました。
「ひりんくさん、天才じゃないですか?」
と言ってもらえました(笑)。
SEO
私がこれまで人生のリソースの多くを捧げてきたのがSEO。これを語らないわけにはいかないのですが、残念ながら語ることは難しいんですよね。
それは…SEOは、今現在の結果が全てだから。今、自分は、SEOアフィリエイトで全然稼げなくなったということは、思うようにSEOで生き残れていないということ。
どれだけSEOに取り組み、向き合ってきたとしても、今結果が出てないなら、何も語れない…それがSEO…厳しい世界というか、積み上げるのが難しい世界だなと思います。
敗因を踏まえ、今…
「現状を変えたければ、思い切って環境を変えること!」何かの本でそんなことを読んだ記憶が…
私の場合、そうせざるを得ないという流れで環境を変えることになりました。
最初は、悲劇のヒーローに浸っていました(笑)が少しづつ、状況に慣れ、現状からどういう風にして、自分の望む結果にまでたどり着けばいいのか逆算しだしました。
すると、今のスタイルの方が、自分の望む結果にたどり着きやすいのではないか?と言う風に思えるようになりました。
”自分の望む結果”…20代、30代の前半の頃は、自己顕示欲が強かったなと思います。
”時間の自由と精神の自由の両立”という現在の私が望んでいる結果だけでなく、「人から凄いって思われたい」、「尊敬されたい」っていう気持ちまでも強く持っていたのです。
上述の願望を全て叶えるのは、自分にとっては相当に難しいことです。
なにせ、先述している通り、”人を雇えば結果は違ってくる…と神様に教えてもらったとしても、それを実行するのが難しいような人間”なので。
自分の性格・特性を考慮し、”時間の自由と精神の自由の両立”だけを考えてみる…。すると、これは、出来るような気がするのです。
- 安定した収益源を確保し、生活をする
- 収入の一部を自分のモノとしてとっておく
- お金を活かしてお金を生むことが出来る知識・経験・スキルを磨く
これを継続し、突き詰めていけば、”時間の自由と精神の自由の両立”は可能だと思うのです。
会社員となった私には、これを実行出来る環境があります。会社を解散させる前よりも、”時間の自由と精神の自由の両立”を実現させる可能性が高くなったと感じています。
アフィリエイトへの向き合い方の変化。(アフィリエイトは今どうしてる?)
法人でアフィリエイトをしていた時は、”とにかく、売り上げ”でした。
ですので、緊急性が高いけど重要ではない事に振り回され続けていたように思います。
- こんな取り組みいいのではないか?
- こういうことをやっていくべきだよね。
というようなことを見つけても、精神的にも肉体的にも時間的にもそれらに腰を据えて取り組む余裕がありませんでした。
実際は、”やろうとした”、”中途半端にやってみた”ことはあります。ただ、どれもこれも一定の結果を得るまで粘り強く腰を据えて取り組み続けることが出来なかったというわけです。
アフィリエイトに関しても、それ以外のことに関してもこれは言えることですね。
しかし、会社を解散し、会社員になった今はどうか?
作業できる時間は圧倒的に減ってしまいました。でも、色々とそれ以外でのメリットがあります。
腰を据えてやりたいことを出来るようになった。
自分をレベルアップさせるために本を読んだり、youtubeを始めてみたり、トレードに取り組んだり、漫画を描いていたり…と”アフィリエイトで今ある能力で売り上げをなんとかしなくちゃ…”とバタバタしていた時には腰を据えて取り組めなかったことに腰を据えて取り組むことが出来ています。
インプット・新たな気付きが増えた
SEOアフィリエイト自体を語るとなると、今現在の結果が全てで、変化の厳しい世界ですので…「語ることが何もない」という状況に陥りがちです。
アフィリエイトを語って面白いと感じるのは、儲けたい属性の人ですし、更に、自分の今現在の儲けがゼロになってしまえば、その語りは無価値なものになってしまいます。
あくまで自分の印象…ですが、SEOアフィリエイトだけにしがみつき続けると、何も語れない人間になっていってしまいます。
しかし、会社員だとそうではありません。あるあるネタや、業界のここだけ話など広く受け入れられる、ウケるネタを仕入れることが出来るのです。
人生は全てがネタである…と誰かが言ってましたが、嫌な上司も、理不尽な仕事・出来事も…全てネタ。
会社員はネタの宝庫なのです。ネタが増えれば…それは、何らかの形でウェブサイト運営に活かすことが出来るとなります。
また、最近、会社の新入りさんを指導させていただいていて、長い時間一緒にいることが多いので、自分のこれまでのことを話す機会が多かったのですが、そこで気づいたこともあります。それは…
”俺って結構面白い人生を歩んできたのかもしれない”ということ。
ツイッターで同業者を見たり、凄い人を見たり、変わった人を見ていると、”自分のことをどうってことない取るに足らない人間だ”と思ってしまいがち…。
しかし、よくよく考えてみると、”面白い、面白くない”、”凄い、凄くない”というのは、相対的なもの。
前述の新入りさんは…独立経験はなく、1~2の職場経験しかない人。この新入りさんに限らず、職場の同僚の全員がほぼこのような経歴…。
私が話すのを聞いている新入りさんの反応を見ていると、”私の話、私のこれまでの人生って面白いのかも…”、”価値があるのかも…”と思えたのです。
人生は全てネタ…と前述してますが、会社を解散させてなかったら、会社員になってなかったら…この記事、この企画は生まれていなかったわけです。
今、アフィリエイトは…?
現在、アフィリエイトの売り上げだけでは生活していけないほどになってしまいました。
現在の主力サイトは、自分で記事を書いている婚活関連サイトです。大手が上位表示させても割に合わないからと攻めていないようなキーワード・ネタで記事を書いて、コツコツ検索エンジンで上位を獲得し、成約までの距離が遠いがゆえに、コンバージョン率は非常に低いけど、たまに申し込まれる…みたいなところで地味にやってます。
このサイトに関しては、SNSも上手に絡めて、更に売り上げを増やしていけたらな…と考えています。
で、今、最も熱を入れているのが…このサイトですよ。自分の全てをそのままこのサイト、そしてSNSにぶつけていこうかと考えています。
キャッシュポイントは…とりあえず、当面はアドセンスを予定しています。
現状、会社員の給料だけで生活していて、更には、そこからわずかばかりではありますが”お金がお金を生む取り組み”に回すこともできているような状況ですので…アドセンス収益を地味に持ち上げるだけでも、私の目指す”時間の自由と精神の自由の両立”の非常に大きな追い風となってくれることが想像できます。
そして、会社員なんだけど、悶々としている…”時間の自由と精神の自由の両立”に憧れている人は多いはず…。
ゆえに、私の存在…そして、その取り組み自体に社会的価値がある…そう信じています。
更には…”時間の自由と精神の自由の両立”を実現すれば、次のステップの崇高な野望が頭に浮かんでくるかもしれません。
そう…道はきっと開けるはずなのです…。
”お金がお金を生む取り組み”については、別記事をアップする予定です。
コメント